【知ってる?】逸話「民のかまど」は今もなお受け継がれてきた・天皇の大御心と大御宝
天皇家に今もなお受け継がれ、歴代天皇のお手本となっている
を知っていますか?
そして、その逸話からもわかる天皇家の「大御心」と「大御宝」というものです
つまり、日本の平和と国民の安寧を願い、自分は常に国民と共にあるという天皇の心です
つまり、天皇にとって「国民が宝なのだ」というものです。
さて、仁徳天皇といえば、世界最大規模の古墳「仁徳天皇陵」が有名でしょう。
秦始皇帝陵や、エジプトのクフ王のピラミッドを凌ぐほど、世界最大の墓である。
当時の貨幣価値での試算ではなんと
とされるほどの権力を持っていたとされています
また、日本史上最初の開発と治水工事である
「大阪平野」と「淀川」に着手して、農業生産を格段に向上させたのも、仁徳天皇治世で行われたものです。
そして、仁徳天皇は「質素倹約」を信条とし、その宮殿は飾り気なく、屋根を葺いた茅を切り揃えることもしなかったという。
今回は、最古の歴史記録書「日本書紀」から、その仁徳天皇の「民かまど」という、「大御心」と「大御宝」がよくわかる有名なお話しを紹介します。
仁徳天皇「民のかまど」
「昔の素晴らしい君主の世には、「人々は歌を歌い、家々もやすらか」という歌があったと聞いたことがある。
今、私は政治にあたって3年になった。
歌声は聞こえてこない。煙もまったく出ていない。
つまりは、五穀が実らず、民は貧しいのだ。
今見える都がこの有様だから、地方はもっとひどいであろうな。
この日から、天皇は衣服や靴が古くなっても、新しくすることなく、食事も質素にした。
心を削り、志を約束して、何もしないことに励みました。
その結果、宮殿の壁が崩れても修理せず
茅葺きの屋根が壊れても直さず
風雨が洩れて衣服が濡れても、星の光が漏れて、寝具が露に濡れても気にしませんでした。
その後、天候は季節通りで、五穀は豊かに実り、三年の間に民は豊かになりました。
民の間では、徳を讃える歌が満ち、炊き煙も多くなりました。
天皇は再び高台から国を見渡し、今度は多くの炊き煙が立ち上がるのを見て、民が豊かになったことを喜びました。
傍らにいた皇后にこう言いました。
「私は既に富んでおり、もう心配はありません。」
皇后が
「どうして富んだと言えるのですか?」
と尋ねると、天皇は
「煙が国中に満ちて、民が自ら富んでいるからです」
と答えました。
皇后がさらに
「宮殿の壁が壊れ、衣服が露に濡れても修理されないのに、どうして富んだと言えるのですか?」
と言うと、天皇は
「天が君主を立てるのは民のためです。
だから、君主は民を本としています。
古の聖なる王の時代には、一人でも飢え寒い者がいれば、それを自身の責任としていました。
今、民が貧しければ私も貧しく、民が富めば私も富むのです。
民が富んでいて、君主が貧しいことはありません」
と言いました。
そして、9月になると、諸国の民からの申し出がありました。
「我々の労役と税が既に3年間免除されております。
そのため、宮殿は老朽化し、蔵は空になりました。
今、民は豊かで、道端の落とし物さえも拾わないほどです。
里のみんなも家族を持ち、蓄えもたくさんできました。
このような時、宮殿や殿屋の修理のために、我々から税を徴収しなければ、天から罪を受けてしまいます」
しかし、天皇はそれでも税金をとらず、これを聞き入れませんでした。
6年の歳月が過ぎ、天皇は民の願いを受け入れ、税の徴収を再開、ようやく宮殿の建設を始めました。
すると、民たち自ら進んで着工し、また、喜んで協力したとされています。
そして、若いものから老いたものまで、力を合わせて宮殿の建設に励みました。
短期間で宮殿は完成し、その天皇は「聖帝」と称えられるようになりました。
「民のかまど」はプロパガンダではない
この仁徳天皇の話はよく、天皇へのポピュリズムだとか、プロパガンダだとか言われます
しかし、それはまったく違います。
ほかの国の独裁者みたいに、初めは持っていなかった権力を手に入れ、内外にそれを誇示したり、示す必要もない。
外国は支配者と奴隷という主従関係ですが、天皇と民は共に存在している。
これが外国の権力者と日本の天皇の違いです。
また、「自分のことだけ」を考えている日本の政治家は見習ってもらいたいですよね。
「民のかまど」から炊煙が立ち昇り
という思いは、今の天皇家にも引き継がれているのはご存知の通りです
そんな昔から、国民と共に存在している
を破壊しようとしている政治家や勢力があるのも是非とも知っておいてもらいたいです。
この「民のかまど」の民のように
として応えることができるでしょう。