【ミホノブルボン】50代を魅了したG1馬・最強の逃げは連対率100%
50代なら知っている・日本競馬史において「坂路の申し子」と称されるミホノブルボン
その圧倒的な走力と戦略で数多のファンを魅了し続けました。
無敗で迎えたダービーの舞台で圧巻の走りを見せ、競馬界にその名を刻んだ彼の物語は、今も語り継がれる伝説となっています。
坂路の申し子と言われたミホノブルボン
ミホノブルボンは1989年に生まれた日本の競走馬
故・戸山調教師の
という信念をこれでもか!という感じで実現し、クラッシック制覇の夢を叶えた圧倒的逃げ馬であった。
その競走成績と筋肉隆々の見た目から
とも称され、日本競馬界において記憶に残る足跡を残しました。
彼の競走キャリアは短いながらも、その影響力は非常に大きかったことが窺えます。
二年連続の無敗の二冠馬・ミホノブルボン
ミホノブルボンは、1992年に中央競馬クラシック三冠のうち
皐月賞と東京優駿(日本ダービー)を無敗で制覇
トウカイテイオーに続き、二年連続となり、日本競馬史上にその名を刻みました。
その後も「無敗の二冠馬」として高い評価を受け続けています。
彼の走りは、坂路を使ったスパルタンな調教により鍛えられた。
その非常に精確なペースでレースを進める能力に優れていました。
このため、レースでは常に先頭を切る逃げの戦法を取り、その独特の走りは多くの競馬ファンを魅了したのです。
どれもこれもドラマチックで忘れられないレースでした。
超ステイヤーに負けたミホノブルボン
しかし、三冠の最後の菊花賞では、長距離レースにおける彼の限界が見えてしまう。
しかも超ステイヤーのライスシャワーに敗れて無敗記録が途絶えました。
相手がライスシャワーでなければ、きっと「三冠馬」となれたのであろう。
そこが歴史の悲しいところでもあり、面白いところでもある。
その後の競馬ファンによる
それでも彼の競走生活は、多くの記録と印象的な勝利によって、日本競馬史において特別な存在として語り継がれています。
ミホノブルボンは間違いなく最強馬の一頭
ミホノブルボンの競走生活は、彼の身体的な強さと、調教師の戦略
そして、小島騎手の技術が完璧に融合した結果、短いながらも
と輝かしいものとなりました。
彼の競走生活は、日本競馬における華麗なる時代の一幕を飾るものであり、その名は今後も長く語り継がれるでしょう。
ミホノブルボンへのコメント
鍛えて最強馬を作る集大成がブルボン。
馬体は惚れ惚れするくらいの筋肉。
特にお尻の筋肉が見事としか言いようがない。
ブルボン自身にも素質があったのは当然だが、やはり戸山先生の方針とブルボンがマッチしたのだろう。
戸山先生じゃなきゃ活躍はしたと思うが二冠馬になってないと思う。
頭を高く上げ舌出しながら走っても強いブルボン
こんなにも絵になる馬はもう居ない。
パドックって見てても強い弱いあんまりわからないけど
一目見ただけで「こいつは絶対強い」と確信できるヤバい尻だった
ライスシャワーの執念がブルボンの3冠を止めた。
ブルボンなら、宝塚記念や秋天でも走ってほしかった……。
タラレバ言ってはいかんのですが、菊花賞じゃなくて秋天に出てたらどうだったのかな?
ミホノブルボン競走成績
- デビュー戦:1着 1991年9月7日、中京競馬場の新馬戦(芝1000メートル)
- 2戦目:1着 1991年11月23日、東京競馬場の500万円以下(芝1600メートル)
- 3戦目:1着 1991年12月8日、朝日杯3歳ステークス(GI、芝1600メートル)
- 4戦目:1着 1992年3月29日、スプリングステークス(GII、芝1800メートル)
- 5戦目:1着 1992年4月19日、皐月賞(GI、芝2000メートル)
- 6戦目:1着 1992年5月31日、東京優駿(日本ダービー、GI、芝2400メートル)
- 7戦目:1着 1992年10月18日、京都新聞杯(GII、芝2200メートル)
- 8戦目:2着 1992年11月8日、菊花賞(GI、芝3000メートル)